ななななな、七咲いいいいいいぃぃぃぃッッッッ!!好きだぁぁっぁぁぁぁっ
……ふぅ。
というわけでエビコレ+アマガミ(PSP)絶賛プレイ中です。
マスク装備してれば電車の中でも恥ずかしくないもん!
月日が流れるのは早いものでキミキスも発売からすでに5年なんですねー。
キミキス→アマガミSS→エビコレ+
と辿り着いた経路を考えると、回遊魚のように故郷に戻ってきた気分ですわ。
最初にアマガミが発売の時はあまりの忙しさにゲームする時間もなく、
指をくわえて見ていただけの悔しさもやっとこれで晴れました。
やっぱTLS系譜はなんというか水が合うのか、予想以上に面白いですねー。
主人公に選ばれなかったヒロインはどうすんのみたいな
変なリアリティを発展させるとかが酷すぎる!。(褒め言葉)
分析については新規組がまったくやる必要ないくらい先駆者の方々がされているので
あまり多く語ることもないのですが、覚書程度に感想を。
以下多少ネタバレ含む。
……ふぅ。
というわけでエビコレ+アマガミ(PSP)絶賛プレイ中です。
マスク装備してれば電車の中でも恥ずかしくないもん!
月日が流れるのは早いものでキミキスも発売からすでに5年なんですねー。
キミキス→アマガミSS→エビコレ+
と辿り着いた経路を考えると、回遊魚のように故郷に戻ってきた気分ですわ。
最初にアマガミが発売の時はあまりの忙しさにゲームする時間もなく、
指をくわえて見ていただけの悔しさもやっとこれで晴れました。
やっぱTLS系譜はなんというか水が合うのか、予想以上に面白いですねー。
主人公に選ばれなかったヒロインはどうすんのみたいな
変なリアリティを発展させるとかが酷すぎる!。(褒め言葉)
分析については新規組がまったくやる必要ないくらい先駆者の方々がされているので
あまり多く語ることもないのですが、覚書程度に感想を。
以下多少ネタバレ含む。
まあ超今更な気もしますが、やっと全部見たので。
言うまでもなく目を引くのが美術の美しさ。
今までの新海作品もそうですが、もうこれだけでグっときます。
しかし、ただ美しいだけでなくそこに物語の意味が込められているのが「背景」でなく「美術」である理由なんでしょう。
第1話「桜花抄」では、主人公遠野は、転校した幼なじみ明里に会いに行くことを決心します。
この道のり自体、物語を構成するシークエンスとして重厚に語られますが
キーとなっているのは、雪の降り積もった早朝の駅のホームで明里と別れるシーン。
真っ白な雪の上に二人並んだ足跡が、電車の扉の前で途切れている。
遠野は電車に乗って真っ白な雪の向こうへと行ってしまう。ホームより先は別の世界であり、一緒に歩むことはないという厳然たる未来を暗示しているのではないでしょうか。
第2話で遠野に告白しようとした花苗が、打ち上げられ、どこまでも高く天を引き裂いて何もない世界を目指して昇っていくH-IIロケットを眺めた瞬間に「遠野君は私を見てなどいない」と気づくシーンと同様の切り口で、登場人物ではなく舞台に語らせている。
1話、2話で綺麗にストーリーラインを反復しています。
よって3話はすでに語るべきことはなく、1,2話で確定された結果をはっきりと提示しているだけに過ぎません。
過去と現在を絡めたフラッシュバックのPV風映像で見せることにより、淡々と叙情的に結末を語っています。
CLANNADのシナリオライターである涼元 悠一氏が自身の著書で
「ひたすら積み上げて崩す」が泣きゲーのシナリオ術として書かれていましたが
このアニメは全話通して崩しのポイントがあくまで「静」であり、視聴者に対しては染みるような感傷を残すだけなのが素晴らしいですね。
言うまでもなく目を引くのが美術の美しさ。
今までの新海作品もそうですが、もうこれだけでグっときます。
しかし、ただ美しいだけでなくそこに物語の意味が込められているのが「背景」でなく「美術」である理由なんでしょう。
第1話「桜花抄」では、主人公遠野は、転校した幼なじみ明里に会いに行くことを決心します。
この道のり自体、物語を構成するシークエンスとして重厚に語られますが
キーとなっているのは、雪の降り積もった早朝の駅のホームで明里と別れるシーン。
真っ白な雪の上に二人並んだ足跡が、電車の扉の前で途切れている。
遠野は電車に乗って真っ白な雪の向こうへと行ってしまう。ホームより先は別の世界であり、一緒に歩むことはないという厳然たる未来を暗示しているのではないでしょうか。
第2話で遠野に告白しようとした花苗が、打ち上げられ、どこまでも高く天を引き裂いて何もない世界を目指して昇っていくH-IIロケットを眺めた瞬間に「遠野君は私を見てなどいない」と気づくシーンと同様の切り口で、登場人物ではなく舞台に語らせている。
1話、2話で綺麗にストーリーラインを反復しています。
よって3話はすでに語るべきことはなく、1,2話で確定された結果をはっきりと提示しているだけに過ぎません。
過去と現在を絡めたフラッシュバックのPV風映像で見せることにより、淡々と叙情的に結末を語っています。
CLANNADのシナリオライターである涼元 悠一氏が自身の著書で
「ひたすら積み上げて崩す」が泣きゲーのシナリオ術として書かれていましたが
このアニメは全話通して崩しのポイントがあくまで「静」であり、視聴者に対しては染みるような感傷を残すだけなのが素晴らしいですね。
■『探偵役』の必然性(リアリティ)と矛盾について
『探偵役』は「本格推理」と呼ばれるジャンルには必要不可欠である。
かつて「探偵小説」と呼ばれていたジャンルなのだから、『探偵役』の登場を必要とするのは
当然であり必然と言える。
しかしその反面、『探偵役』、つまり「本格推理」そのものが持つ先天的病理も存在する。
現実性からの乖離である。
20世紀以降の近代社会・・・・・・特に警察組織及び科学捜査が発達した現代では一般市民の手に負えない
事件、もしくは事故が発生した場合、警察を呼ぶのが義務であり、これは我々自身よく理解している
社会ルールである。
つまり現実には『探偵役』が介入する必然性はまったくない。
むしろ『探偵役』が存在すること自体が不自然な状態なのである。
これは本格の流れを汲む推理小説が必ず乗り越えなければならない壁と言えよう。
また、『探偵役』の不自然性と同時に後期クィーン問題と呼ばれる本格推理自身が必ず孕む矛盾、
(推理の論拠となる証拠は読者にすべて提示されなければならないが、あらゆる可能性が潜む以上
全ての証拠は提示不可能)
これを解消する必要がある。方法は以下に記す。
(1)舞台設定
クローズドサークルと言われる手法を採用する。
物語の舞台そのものを極めて限定することで『探偵役』が解決へと行動する必然性が高まり、
また同時に物語世界もミクロ化されるため発生する矛盾も限りなく小さくなる。
ただしクローズドサークルそのものが古典的手法であり、ある種の不自然さを拭いきれない。
(2)パロディ
『探偵役』、事件、もしくは作品そのものが本格推理のパロディである場合、むしろ『探偵役』なくしては
物語は成り立たない。
『探偵役』が必然として存在する以上、矛盾についても注視されることは少ない。
メタ的に考えれば『探偵役』の最終推理は絶対であり、作中の人物中最も上位存在となることで物語世界が
成り立つ。
この手法については作品を現実から乖離させ、読者自身の意識を物語世界というクローズドサークルに
閉じ込めることで『探偵役』の存在を是としていると言える。
一部「新本格」、またそれに続く「変格」と呼ばれるジャンル群はこの手法を採っていると考えられる。
いずれにせよ推理小説の系譜の源流、始祖、スーパークラスであるところの「本格推理」が
現実性の希薄な人工の論理パズルである以上、その系譜を継ぐジャンルたちも人工的にならざるを得ないと
考えるべきであり、むしろ「人工的であること」を負荷ではなく付加としていかに自然に積極的に物語世界へ
組み込むかを注力すべきなのだろう。
京極や森が書いた新本格小説において一見場違いなキャラ萌えが発生したのも、人工的であることを
物語世界に組み込んだこそと云える。
『探偵役』は「本格推理」と呼ばれるジャンルには必要不可欠である。
かつて「探偵小説」と呼ばれていたジャンルなのだから、『探偵役』の登場を必要とするのは
当然であり必然と言える。
しかしその反面、『探偵役』、つまり「本格推理」そのものが持つ先天的病理も存在する。
現実性からの乖離である。
20世紀以降の近代社会・・・・・・特に警察組織及び科学捜査が発達した現代では一般市民の手に負えない
事件、もしくは事故が発生した場合、警察を呼ぶのが義務であり、これは我々自身よく理解している
社会ルールである。
つまり現実には『探偵役』が介入する必然性はまったくない。
むしろ『探偵役』が存在すること自体が不自然な状態なのである。
これは本格の流れを汲む推理小説が必ず乗り越えなければならない壁と言えよう。
また、『探偵役』の不自然性と同時に後期クィーン問題と呼ばれる本格推理自身が必ず孕む矛盾、
(推理の論拠となる証拠は読者にすべて提示されなければならないが、あらゆる可能性が潜む以上
全ての証拠は提示不可能)
これを解消する必要がある。方法は以下に記す。
(1)舞台設定
クローズドサークルと言われる手法を採用する。
物語の舞台そのものを極めて限定することで『探偵役』が解決へと行動する必然性が高まり、
また同時に物語世界もミクロ化されるため発生する矛盾も限りなく小さくなる。
ただしクローズドサークルそのものが古典的手法であり、ある種の不自然さを拭いきれない。
(2)パロディ
『探偵役』、事件、もしくは作品そのものが本格推理のパロディである場合、むしろ『探偵役』なくしては
物語は成り立たない。
『探偵役』が必然として存在する以上、矛盾についても注視されることは少ない。
メタ的に考えれば『探偵役』の最終推理は絶対であり、作中の人物中最も上位存在となることで物語世界が
成り立つ。
この手法については作品を現実から乖離させ、読者自身の意識を物語世界というクローズドサークルに
閉じ込めることで『探偵役』の存在を是としていると言える。
一部「新本格」、またそれに続く「変格」と呼ばれるジャンル群はこの手法を採っていると考えられる。
いずれにせよ推理小説の系譜の源流、始祖、スーパークラスであるところの「本格推理」が
現実性の希薄な人工の論理パズルである以上、その系譜を継ぐジャンルたちも人工的にならざるを得ないと
考えるべきであり、むしろ「人工的であること」を負荷ではなく付加としていかに自然に積極的に物語世界へ
組み込むかを注力すべきなのだろう。
京極や森が書いた新本格小説において一見場違いなキャラ萌えが発生したのも、人工的であることを
物語世界に組み込んだこそと云える。









